聡窯日誌 vol.8「飯碗の原風景」

九州地方や中部地方など広範囲に甚大な被害が発生しています。被災された方にお見舞いを申し上げるとともに、最前線で救援救護活動を担っている皆様に敬意を表します。

3日から降り続いている大雨。昨日、気象庁が「令和2年7月豪雨」と発表されましたね。ニュースを見過ぎたせいか、家の周りが濃紺の洪水まみれになり、逃げ遅れてしまう…という夢を見てしまいました。有田に氾濫は出ていませんが、土砂災害警報がずっと出ているので不安です。

さて話は変わりますが、今週は新しい飯碗のデザインを考えるために、飯碗のについて色々調べていたのですが、特に歴史的な部分を調べていくと面白いことが分りました。

お椀は、古くは「鞠 まり」と呼ばれており、鞠のように丸い器であったことからその呼び名が付いたようですが、良い器というのは、反転させて2つを合わせたときにちょうど四寸(12cm)の球になる、とされていたそうです。有田を含め、様々な産地で作られた飯碗を調べてもやはり、昔ながらの基本的な形は12cm。これは、標準的な大きさの日本人の両手で人差し指と親指を使い、円をつくったときの直径と同じであり、持ったときに自然と手に馴染む大きさでもあるのです。

12cm=四寸のような昔からある長さの単位は、人間の身体から生まれた“身度尺”と言われています。近年、多くの手が入った色々な形状の飯碗が増えてきていますが、様々なデザインによって失われつつある飯碗の原風景=手から生まれる形に立ちもどることが必要なのでは?と感じました。

以前のブログで、ダーヴィンの進化論の言葉から「人も焼き物も、変化しなければならない時が訪れているかもしれない」とかっこよく語ってしまいましたが、変化するには必ずタイミングがあると思います。例えば、飯碗の形状が変化するタイミングは、日本人の手が大きくなったり、小さくなったり、指がなくなったり、もしかしたら脳が発達して手が無くなってしまったり…?など、身体の進化が起こった時かもしれません。でも、それはずっと先の未来のことでしょう。

作り手が使い手に合わせて自然と作られてきた飯碗に、実はとてもプロダクト要素が含まれていることに感動する私でした。

スタッフH.O

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