「心の余裕の中で・・・」

世界中がコロナ渦に見舞われた2020年… 誰もが、予期しない出来事の数々に翻弄された年だったと思います。個人的にも、上半期全ての展示会等が、中止や延期を余儀なくされ、秋にようやく動き出した個展や企画展も、期待の結果には至らず、外での活動は大変厳しい1年になりました。

年間の1/3を出張し、様々な催事や用件に追われていた例年に比べ、ステイホーム期間も長かった今年はそんな中でも、結果的に色んな事を考えたり試みたり、心の余裕の中でやれてきた一年だったような気がします。

以前から企画してても多忙で出来なかった新たな商品開発。 若いスタッフを中心に、幾度もみんなで議論を重ね、意見を出し合い、作家としての作品制作に加え、窯ブランドの研究開発、試験、制作、ネット強化…。

数年前から工房の環境を提供しながら応援してきた、有田で明日への希望と自らの成長を目指して、ものづくりに取り組む若者たちに対しても、落ち着いた時間の中で、指導したり夢を語ったり、幅広い経験や研修を受けさせてやれたり。

これらもまた、自分に生まれた多くの時間と、気持ちに余裕があった今年だったからこそなんだと、 今、心から嬉しく、そして有難く思う。

まだまだ、先が不透明で不安いっぱいの2021年ですが、 しっかり地に足を付け、全身全霊で一歩ずつ歩く事が出来たなら「いずれ何か付いてくるでしょ♪」ぐらいの気持ちに余裕を持ちながら過ごせる1年にしたいです。

今年も出会い関わってくれた全ての人に感謝申し上げます。

辻 聡彦

  

「泉山陶石 鉱脈 視察研修」

卓越した技術を基に、作り手の思いを作品に込める作家の集まりとして『有田陶芸協会』は1981年に発足しました。轆轤の技術から生まれる美、和紙染めや精巧な染付の美、また独自の釉調の美、華やかな赤絵の美など。作家が求める作品の方向性は様々であり、陶芸協会展ではそれぞれの想いがにじみ出ています。

協会では有田焼の原料採掘地へ行く視察研修もあります。先日は聡窯スタッフたちも連れて泉山陶石の鉱脈が見られる各場所を訪れ、みんなで知識を深め合いました。

有田焼の原料は熊本県の天草陶石が主流ですが、かつては陶祖李参平が約400年前に発見した泉山陶石が重用され、江戸時代には佐賀藩が磁石場を管理していました。今回は、同協会の河口純一名誉会長の案内で、有田川ののり面、古木場ダム、中樽の子樽2号窯跡などを見学。私の工房「聡窯」の真横や敷地内にも鉱脈帯が連なっており、鉱脈は英山より南側に広がっている状況を確認することができました。


歴史は、今、この一瞬が作られている出来事であり、未来へと繋がる出来事です。有田の環境・歴史を学び、作家同士で情報を共有し合うこと。それが作陶の励みと、まだ見ぬ未来の作品へ繋がっていくと信じています。

辻 聡彦

有田川ののり面
中樽の子樽2号窯跡

「道具作り」

『道具は自ら作れ』

つて、私がロクロを師事した井上萬二氏から教わった言葉です。そして15年間、窯業大学の非常勤として、ロクロを教えてきた生徒たちにも伝えてきました。師からの細かな技術の伝承・精神論を現代の若者への教えに持ち込む事は好きではなく、あまりそうしないようにしています。ですが、無雑の集中力と道具に対するリスペクト、土に思いを伝える愛情のような作陶への姿勢の大切さは、今も昔も変わらないと思っています。

指導の立場を退いた後は久しくそんな機会も少なくなり、昨今の窯業を学ぶ若い世代も自ら道具を作ることなく、便利な道具や材料が労せず手に入るようになってきたように感じます。この状況に、私の中で何かが引っかかり、モヤモヤが続いていました。井上萬二門下時代から自分で作ったヘラなどの道具は、微調整を繰り返しながら、30年経った今もピッタリと自分の手に馴染んで、土に優しく語り掛けながら意のままに変化していってくれています。

ですがこの数ヶ月、工房に通っている若者に久しぶりにロクロを指導したり、かつて教えていた大学で同じ井上門下生の先輩に指導を仰ぎ、一緒に道具作りを行うことで改めて学びました。技術を習得する前の大切なことを…。

広く勉強したいと意欲満々の彼女も、そんな貴重な体験や自ら作った道具への愛着を感じながら、今後土と向き合っていく事でしょう。

辻 聡彦